かつらぎさんぽ

奈良・葛城市のあれこれ情報

「鬼滅の刃」で話題の『葛木坐火雷神社』は火と音の神様を祀る神社

火と音の神様を祀る神社

葛木坐火雷神社は「かつらきにいますほのいかづちじんじゃ」と読みます。創建は古く、神代とも神武天皇の御代とも言われ『延喜式』の式内社にも選ばれています。

御祭神は火の神火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)」と笛・音楽の神様天香山命(あめのかぐやまのみこと)」を祀ります。

天香山命の子孫である『笛吹連(ふえふきのむらじ)』が代々宮司として奉仕していて、現在の宮司を務めている方も笛吹連の流れを汲んでいるそうです。

本殿の西側にある笛吹神社古墳には、笛吹連の祖先にあたる建多乎利命(たけたおりのみこと)が葬られていると伝わっています。

鬼滅の刃』ファンも参拝

火を扱う職業🔥や消防関係者🚒、楽器奏者📣の参拝が多い神社ですが、近年では鬼滅の刃ファンの参拝者も増えています。

祭神『火雷大神』の名前が我妻善逸の技『火雷神』に似ていることや火の神=ヒノカミ・炎柱音の神=音柱の連想からだそうですね👹

絵馬のファンアート上手すぎませんか笑

鳥居前の社号標には「火雷神」があるので上手いこと写真撮れたら、奥義発動した感でます☺️

その他の見どころ①|キャノン砲

境内には『露国製加農攻守城砲』があります。このキャノン砲は日露戦争の後に全国各地に奉納された奉納兵器のひとつです。

大体の兵器は第二次世界大戦の際に供出にあっているんですが、こちらは運び手がいなかったこと、鉄道駅からかなり遠い山手にあったことから免れ、残ったと言われています。

なかなか雰囲気ありますね。

その他の見どころ②|ハハカの木

鳥居くぐってすぐにある波々迦木(ハハカの木)。宮中の大嘗祭にて斎田の占いに用いる波々迦木はこの神社の神域から奉るのが吉例とされてきました

一時は激減してしまいましたが、近年は苗木を育てて増殖中だそうです!

 

⁡【 𝕀𝕟𝕗𝕠𝕣𝕞𝕒𝕥𝕚𝕠𝕟 】⁡
⁡📍 葛城市笛吹448
⁡🚶 近鉄忍海駅から徒歩約40分
🚗 南阪奈道「葛城IC」から約10分
⁡🅿️ あり

 

 

 

 

桜やツツジが綺麗な奈良の『屋敷山公園』は城跡にある広大な史跡公園

葛城山麓のお城跡にある公園

葛城山の麓にある屋敷山公園。約5万8000㎡の広大な敷地内に遊具や芝生広場、グラウンド、図書館などが備わった総合公園です。

園内には古墳を利用したお城跡があります

園内北東隅にあるこんもりした丘は屋敷山古墳という古墳で、葛城市内最大、全長135mの前方後円墳です。

中世には布施氏の居館、近世には大和新庄藩の陣屋が古墳の上に築かれたことから『屋敷山』といいます。古墳の南側には「新庄城址」の石碑も。

古墳の出土品やお城の名残がいっぱい

古墳の出土品は大体、市の歴史博物館にあるんですが、古墳の片隅に天井石だけそっと置かれています。

5月に公園祭りという大きなイベントがあるんですが、そういう人が増える時には出土品と気付かずベンチにされてることが多々あります笑

陣屋も初代藩主家となった桑山氏が四代で改易された後に壊されたので、建物らしきものはありませんが、お堀(元々古墳の周濠)や区画は現在も公園のレイアウトとしてほぼほぼ残っています。

↑ヒョータン池は内堀跡

↑芝生広場は蔵があったところかな。昔は長靴飛ばし大会で熱狂したなぁ…

↑芝生広場の西側の窪みもお堀跡みたい。この奥の浄水場らへんは家来の屋敷があったそうな

鯉にエサやりできる『ヒョータン池』

ヒョータン池には鯉が泳いでいて、食パンとかスナックパンあげる人が多かったんですが、鯉のエサが販売されるようになりまして、市公認でエサやりができるようになりました。

昔は白鳥もいたんですが、いつの間にやらいなくなってしまいましたね...

カオス!鯉のエサやり

エサあげるところは大体写真の石橋か、僕が写真を撮ってる水面に近い岩場が相場。

人慣れしてますね。影が見えただけでコレです

ぎゃああああ。魚クセェ🥹 ひとまず退散!

桜やツツジの名所でもあります

ツツジがもうすぐ見頃です!

3月4月は桜並木が綺麗な屋敷山公園。これからの季節はツツジが見頃を迎えます。古墳を中心に園内各所に植栽されているので、お散歩がてら訪ねてみてください🎶

 

【𝕀𝕟𝕗𝕠𝕣𝕞𝕒𝕥𝕚𝕠𝕟】

📍 葛城市南藤井17

🚶‍♀️ 近鉄新庄駅から約20分

🅿️ あり(100台)

超駅近で立地抜群!奈良の『柿本神社』は歌聖・柿本人麻呂生誕の地♬

歌聖・柿本人麻呂生誕の地⋯?

近鉄新庄駅と葛城市役所の間、住むには好条件な場所にある柿本神社。写真は数年前のもので、現在は薮が整理されていてスッキリした境内になっています。

ご祭神は持統・文武天皇の時代に宮廷歌人として活躍した柿本人麻呂です。

人麻呂が改葬された場所

社伝によると、人麻呂が赴任地の石見国島根県)で亡くなった後、宝亀元年(770)にこの地に改葬して、その傍らに「人麻呂堂」を建てたことが始まりだそうです。

社殿左には「柿本大夫人麻呂之墓」と彫られた墓碑があります。これは大和郡山藩主・松平信之が天和元年(1681)に建てたもの。

信之は “人麻呂まじリスペクト” な人だったので明石藩主時代には領内に柿本神社を創建したそうですよ。

4月18日はちんぽんかんぽん祭り

4月18日は柿本人麻呂の命日。この日に豊作を祈願して行われるのが「ちんぽんかんぽん祭り」です。

「ちんぽんかんぽん」というのは祭りの際に鳴っていた太鼓や鉦、笛の音のことを指します。

戦前までは実際に楽器が使われていたようですが、現在には継承されていないので少し残念ですね...

葛城ゆかりの歌も残してます

さらにそのお隣には歌塚と歌碑があります。
歌碑には「春柳 葛城山に 立つ雲の 立ちても居ても 妹をしぞ思ふ」とあります。

この歌の原文は「春柳 葛山 發雲 立座 妹念」と略体で書き表されるので最も短い万葉歌としても知られてるようです。

【𝕀𝕟𝕗𝕠𝕣𝕞𝕒𝕥𝕚𝕠𝕟】
📍 葛城市柿本162
🚶‍♀️ 近鉄新庄駅から徒歩すぐ
🅿️ なし

柿本人麻呂ゆかりの地に咲く桜並木が美しい『人麻呂公園』

今年も綺麗に咲きましたね🌸

葛城市のオフィシャルでは屋敷山公園とか山麓公園が桜スポットとして紹介されてるんですが、個人的にオススメなのが人麻呂公園です。
⁡⁡
近鉄新庄駅おりて正面にある小さな公園なんですが、高田川堤防の桜並木がめちゃめちゃ綺麗です🌸🌸🌸⁡⁡⁡

土手も広めなので、家族や夫婦でレジャーシート敷いてお花見してる方もよく見かけます😊 ⁡⁡⁡

⁡僕も旧宅が近くにあり、入園入学や卒園卒業記念の家族写真はここで撮りました📷 

今年ももう葉桜になりはじめました。あっという間でしたね🥹 また来年もきれいに咲いてくれることを願っています!⁡⁡

【𝕀𝕟𝕗𝕠𝕣𝕞𝕒𝕥𝕚𝕠𝕟】
⁡📍 葛城市柿本⁡
🚶‍♀️ 近鉄新庄駅徒歩すぐ
⁡🕒 散策自由⁡
⁡🅿️ あり⁡

松尾芭蕉も涙した孝行娘の物語が残る『孝女伊麻旧跡』

孝女伊麻とは

伊麻は江戸時代に儒教の教えのもと称えられてきた孝子(親孝行な子ども)の一人👧 現在、孝子碑が建つこの地は伊麻の住居跡と伝わります🏠⁡⁡


親孝行な伊麻の物語

⁡寛文11年(1671)の夏に疫病が流行した時、伊麻の父も罹患し病床に伏せる😷 伊麻と弟の長兵衛は昼夜を問わず看病したものの一向に良くならなかった🤒⁡

⁡ある時、鰻が病気に良いと聞き2人は八方手を尽くして鰻を探したが手に入らない。そんな夜、水甕で音がしたかと思うと中にはなんと鰻が! 喜んだ伊麻たちは父にその鰻を食べさせると、たちまち元気になり、平癒したといいます💪⁡
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松尾芭蕉も感動の逸話

奈良の小さな村の話ですが、⁡寛政2年(1790)に伴蒿蹊が著した『近世畸人伝』によって描かれると、全国的に知られることとなりました📖 

当時から既に有名な話だったらしく、貞享5年(1688)、松尾芭蕉は『笈の小文』の旅の途中にこの話を聞きつけ、わざわざ伊麻に会いに行ったのだとか🚶この時芭蕉は伊麻の孝行ぶりに涙を流したそうですよ🥲 

⁡⁡地域に根付く伊麻の足跡⁡

現在住居跡に建つ孝子碑は天保11年に姉弟の徳を称えて建立されたもの。伊麻の命日である毎年2月27日には追善法要が行われ、地元の市立磐城小学校の児童たちもお参りに参加します👦👧

また説話に因んで、周辺には鰻の絵が刻まれた水甕形の車止めが設置されています。

磐城小学校では校章に水甕が使用され、校舎玄関には水甕と灯りをともす伊麻の像がありますよ🏫